架け橋としての美術
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  田部井月四の足跡

「生命の発生、光と共に」のテーマに至るまで


私と絵画との出会い

中学2年の時、同級生のN君が上野の美術館の展覧会に連れて行ってくれて
H君他5人でN君の解説付きのミニ鑑賞ツアーに参加しました。

これが初めての本物の美術との出会いでした。
初めて「名画」というものを知り、作品の存在感に感心し、引き付けられました。

その後、高校1年の時に父が他界して、経済的にきびしくなり生活が一変してしまいました。
そんな中で、自分の人生の方向を模索していました。
いろいろなものを求め、探し歩くうち、ちょうど神奈川近代美術館で開催中のムンク展に行く
事ができました。

ムンクの作品は私に語りかけてきました。
会場が混雑していたにも拘わらず、1枚1枚丁寧に良く見ることができ、かなり長い時間、
作品と向かい合うことができました。

北欧の人ムンクは猛烈に私に語りかけます。
東南アジアの私はすべてを理解しようと心がけました。

この出会いは私の人生に大きな衝撃を与えました。そして、私はその日から「あのような
絵を描きたい」と願うようになり、機会があるたびに、美術館やデパートの展覧会を楽しく
見て歩きました。

そして、ついに日本画に出会う日が来ました。
それは、山種美術館の「今日の日本画展」でした。
それまで見たことのない日本画のマチエールに出会い、とても新しいと感じました。

「こういう画材を使ってみたい」と強く心惹かれました。
その折、山種美術館の学芸員の方が新しい日本画の取り組みについて解説してくださり、
それは大変興味深いお話でした。

そして、解説終了後、質問を受け付けますと言われ、私は「この絵の具を使って絵を
描きたいがどうすれば良いですか?」と質問しますと、「それなら美術大学に入学する
ように。」と勧められました。


受験前の美術研究所では戸田康一先生との出会いに恵まれて、翌年、多摩美術大学
日本画科に入学することができました。
画家としての歩み出しがそこから始まりました。
入学してからデュビュッフェ(フランス人で「生の芸術」を提唱する)の作品に出会い感動
しました。
以後アウトサイダーのアート作品に惹かれるようになりました。
4年生の時に小川幸治さんと出会いました。その出会いは共通の先生である戸田康一
先生の許で汎軌会(日本画の研究会)を開くようになり、このときから今迄ずっとお世話
になって来ました。


サラリーマンと画家生活

卒業後3年目、生活の為に就職しサラリーマンの生活が始まりました。
勤めた会社は、残業しなくても咎められず、豊かではないけれど安定した
生活を営む事ができ、働きながら絵を描くことに励んでいました。

 多摩美術大学在学中から団体展の「創画展」に出品し始め、入選を重ね、
30年余り出品し続けました。
「創画会」は、新しい日本画を創造すべく切磋琢磨する熱気溢れる会でした。
そこに出品することの歓びと会員になることの目標を持って頑張っていま
した。


脳腫瘍の発覚

2000年1月からめまいとふらつきが続き、薬を飲んでも改善されず、病院を変え、
MRIを撮った所、脳腫瘍が発見されました。脳の中に白い大きな塊を見た時、
「もうだめかもしれない。」と直感しました。

二人の兄を続けて亡くした直後だったので、次は自分かという思いがよぎりました。
2001年2月、脳腫瘍の摘出手術をし、後遺症により、働けるようになるまで1年半
かかりました。

手術後最初の1週間は殆んど目を覚ますことがなく、意識を取り戻した2週間目も、
記憶がおぼろで自分が絵を描いていたことも思い出せないほどでした。

3ヶ月の入院を経て、6月上旬に退院し、9月末の「創画展」に出品することを決めました。
しかし、家の中で移動することも困難な状態の中で作品を描くことは想像以上にきびしい事
でした。

妻は「毎朝、目を覚ます度に魔法みたいに絵ができ上がっていく」と言っていましたが、
自分でも、動作は相当不自由な中で自分が描いている気がせず、そのまま運ばれるように
して絵ができ上がっていく感覚を味わいました。

作品は「創画展」第一室に展示して頂きました。
その時にはまだ「生命の発生」というテーマは自分の中にははっきりとありませんでした。


妻の病

2003年正月、妻の体調が悪く、子宮癌が進行していることが分かりました。
この時はかなり悪かったので、自分の病気の時以上に、兄に続いて妻の死を覚悟しました。

しかし、妻は病気を「呼びかけ」と受け止め、生きようとする心に目覚めたことから、無く
なりはしないまでも癌の自然退縮が起こりました。

そして、手術を新しく生き直す喜びと共に受けることができました。
その事によって私の中で、大きな考え方の転換が起こりました。


リ・スタート

妻の病気を境に、生命に対しての感じ方が変わり、絵を描く時、生命が発生するイメージが
浮かんできました。

その翌年、高島屋で行われた「第4回涛の会」展(2004年)で「生命の発生」という
テーマに辿り着きました。

そして、生命に溢れる「光」を描きたいという願いが心の内から溢れるようになってきました。

 2005年の夏のある日、思いつくように、亡くなった兄が住んでいたアパートのそばに
ある「景向の松」という松の大木を見に行きました。

夏の日差しと、松の木の大きな木陰に「光」と「影」を強く感じました。
幹は古くて黒く、シルエットのようにえぐられて見えるのですが、近付くと素晴らしい力感の
ある立体でした。

幹の回りに乱反射しているように見える太陽の光は、真っ黒な幹を浮かび上がらせていました。 葉の緑は、上からの光で透けて見えてステンドグラスのように美しいものでした。

それまでは、人間など動くものにしか興味がありませんでしたが、「植物」―止まっているもの
の中に生命を感じ、止まっているのに動いているような力感があることに気付きました。
「植物」に生命そのものを感じると共に、その土地に流れているものに生命を感じることが
できました。

私はそれと一体になり、描き表わしたいと思い、巡礼のような気持ちでいろいろな所に赴き、
いろいろな生命を感じて描き続けて行きたいと思っています。


描くことと生きること

実は、病後の記念すべき作品を出品した時から、団体展に出品して作品を競うことに疑問を
持つようになってきていました。しかし、画家になるためには会員にならなければならないと
思っていたので、卒業以来出品し続けて来た創画展にその後も出品していましたが、ある年から 作品は受け入れて貰えなくなりました。

自分は創画会という団体展が好きなのですが、入選できないのに出品できるほどの経済的な余裕もなくなり、お陰様で「画家になるためには会員にならなければならない」との考えから自由になることができました。

 今の自分は、描くことは私に歓びを与えてくれるものであり、絵を描くことの必然を深く感じるようになりました。過去を思い、未来を夢見て生きることではなく、今を描くことで今を生きる。そして、今を積み重ねて未来を生き、その蓄積こそが豊かな人生になるのだと信じられるようになって来ました。 今回の「障害と絵画」でも小川幸治さんと一緒に新しい絵画の地平を模索できること何より幸せです。また描くことの素晴らしさを学生の皆さんと語り合えたら何より幸せです。

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